シルフェイド幻想譚、WOLF RPGエディター、そして片道勇者を生んだSmokingWOLF氏インタビュー

著者: PLAYISM Staff 、掲載日:15 Sep 2015

インディーゲームは、ゲームそのものもさることながら、作家性の高いものですので、そのゲームをどんな人がつくったのか?どんな想いでつくったのか?どうしてインディークリエイターになったのか?というつくり手のことも気になったりしますよね。

PLAYISMでは、つくり手さんのことや、つくっている時のことをもっと掘り下げた形でゲームを応援していければ、と思いまして、ひとつ試しにわりとご近所に住んでいるSmoking WOLFさんに御足労いただき、根掘り葉ほり聞いてみました。

はじめに

SmokingWOLFさんは、PLAYISMでは『片道勇者』のリリースでお世話になっているデベロッパーさんです。そもそもは窓の杜の『片道勇者』のレビューをたまたま見つけて、これはすごいゲームだ!とあわててウチからWOLFさんにコンタクトを取らせていただいたのが最初のきっかけでした。

もしかすると、SmokingWOLFといえば、『シルフェイドシリーズ』あるいは『WOLF RPGエディター』の作者として認識されている方もいらっしゃるでしょう。ゲーム開発会社に勤めていた経歴は一切なく、個人でPCゲームをつくり、それを自分で販売することだけで生計を立てておられる日本でも非常に稀有な例のインディーデベロッパーです。語弊があるかもしれませんが、非常に純粋なインディークリエイター、と言えるかもしれません。

氏の人となりは、Twitter、あるいは開発日誌でよくご存じの方もいらっしゃるでしょう。誰にも頼ることなく独力でここまで道を切り拓いて来た氏の戦術、戦法、戦い方、哲学があり、目標をぶれることなく見据え完遂するために今何をすべきかを常に模索されています。というような方です。では、以下インタビューをお楽しみください。

SmokingWOLF

SmokingWOLF、最初のゲームができるまで

シルフェイドシリーズ』や『 片道勇者』、『 WOLF RPGエディター』を開発してきた個人のゲーム開発者です。住まいは大阪で、最近は両親と一緒に暮らしています。

SmokingWOLF開発現場

小さい頃は、模型飛行機やラジコンが好きだった父親の影響でプラモデル少年でした。でも、12歳ぐらいになる頃には、説明書どおりにつくるのに飽きてきて。プラモデルって、説明書通りつくった後、ディティールにこだわるのがメインじゃないですか。そこにこだわるのがあまり好きじゃなったみたいで。それよりも発想力を生かして元をつくることがやりたいなと思っていたのかもしれません。

そんな時に、スーパーファミコンのRPGツクール SUPER DANTEを中古ショップで見つけて、ときめいてすぐ買いました。それに前の人がつくったゲームデータが残っていて、細かい内容は覚えていませんが、大雑把で市販のゲームと全然違うもので、新たな自由に触れたように思いました。これはプラモデルのように組み立て説明書もないし、何の部品も機材もいらない。全部自分の頭の中からつくれる。RPGツクールに出会っていなかったら、本気でプロモデラーを目指していたかもしれませんが、そのタイミングでゲーム作りに出会ったのは、巡り合わせだったのかもしれません。あと、そのRPGツクールを買った時に一緒にログインソフコンというゲーム投稿誌のチラシがついたせいで沼にハマって行った感じがあります。

14歳ぐらいの頃には、スーパーファミコンのものでは物足りなくなって、父のパソコンを借りてRPGツクール Dante98 IIでゲームをつくるようになりました。でも、構想だけが先に進んで、素材を先につくっていって…という順番で進めて行ったせいか、イベントなどをつくる喜びには触れたのですが、中身が全然完成しないままで結局何もできませんでした。

5年間ほどツクールを触り続けて、ゲームとしてはひとつも完成しなかったのですが、いつかはログインソフコンに出せるようになりたいなという夢をいただきつつ開発を続けていました。しかし高校生の時にSofcomが終わってしまって、つくっても出すところがなくなって目標がなくなり、しょんぼりしたのを覚えています。

そのしょんぼりした気持ちをぶつけるように、ある日3時間くらいでゲームを一本つくってみようと思い立ち、『 レジェンドオブレストール』というアドベンチャーゲームをつくりました。クソゲーと公称としてもいいような出来ではありましたが、それが最初につくったゲームでした。

その一話だけを高校の友達に遊ばせてみたところ非常にウケが良くて。こんな数時間でつくったゲームでも楽しんでもらえるということがわかり、完璧なものをつくらなくても良いんだという認識が芽生えてから、やっとゲームがつくれるようになりました。

それで、友人がネットで公開しようぜと言ってくれたのもあって、自分のホームページもつくりました。最初はシルバーセカンドじゃなくて、Willful SmokingWOLF's Room、自由きままなSmokingWOLFの部屋、みたいな意味ですね。『レジェンドオブレストール』もそこに載せましたが、当時ホームページ見る人も少ないので、反応はほぼありませんでした。サイトのアクセス自体が日に10くらいでしたから。それでも一部の人たちからコメントをもらったような記憶はあります。

シルフェイドシリーズに至るまで

高校時代は受験勉強中も、妹のペンタブレットを借りて絵を描く練習をしたり、ゲームをつくっていたり……。実家にいる間は何だかこそこそゲームをつくったり絵を描いたりしていましたね。結構厳しい家でしたから。少なくともミュージシャンになると言って許されるような家ではなかったですね。

大学は、人工知能を扱う学科に行こうと思って、広島市立大学に進学しました。この時はゲームをつくって生きていこうとまでは考えていなかったですが、とにかく一人暮らしになったから、家族の目を気にせず好きなだけゲームがつくれるなと。

それで、大学時代に『 シルフェイド見聞録』をつくって、フリーで配信しました。5話くらいで中途半端に終わったのですが、評判はかなり良かったです。ホームページに受け止められないほどの量と厚さのコメントが来て、心が壊れそうになりましたが。当時は顔グラフィックを描ける人が少なかったので、それがアドバンテージになったんでしょうね。

それでシステムづくりがわかって、まともなゲームをつくってみようとつくったのが『 シルフェイド幻想譚』です。これを、ログインソフコンに出せなくなった鬱憤を晴らすかのようにコンテストパークに出して、金賞を受賞しました。

サイトのアクセスも結構すごくて、この時がSmokingWOLFのピークでしたね(笑)。今みたいに企業さんが基本無料ゲームをつくる時代ではなかったので、無料ゲームユーザを取り合う競合相手がいなかったのが大きかったと思います。

就職するか、ゲームで生きるか

やがて、就職するか、ゲームで生きるかを決断する時期になったのですが、当時自分がいけるようなIT系の企業はすでに激務な状況になっているのがひしひしと感じられて、私の体だともたないなと推測していました。だったらマイペースに稼げる手段がもしあるんだったら、失敗しても就職すればいいから、一か八かゲームを売ってみようと判断したんですね。

それで、院に入って、二年時間稼ぎをして、学生のうちにそれを試してみようと。失う物は何もなかったので。その間、ゲーム会社からオファーももらったのですが、自分の好きなものを好きにつくれないのが何となく嫌だったのでそれを受けずに、何十日も休まず学校に行きながらゲームをつくり続けて。血便が出たりしましたね(笑)。

当時、シェアウェア作品はほとんどなかったように思いますが、私は アルファナッツさんの『天使の微笑』に注目していて、こちらがWebMoneyと契約して自分のサイトでゲームを販売されていました。こういう売り方もあるのかと思い、学生ながらWebMoneyに資料を問合せしたら、いきなり導入の話が始まってしまって。今は個人だと加盟店になれないでしょうけど、すぐに加盟店の許諾が取れちゃったんですね。当時はWebMoneyも加盟店を集めたいタイミングだったのか、運が良かったんでしょうね。

それで『 シルエットノート』を販売したら結構売れて、その結果を親に突きつけたら、ゲーム開発の道で生きることを許してもらえました。ああ、この世はやっぱり金なんだなと思いましたね(笑)。それでゲーム開発人生に移りました。

失うものは何もなかったのですが、みんなが就職する中、ゲームをつくって生きるという判断をするのは勇気が要りましたよ。振り返ると、かなり運に助けられているような気がしますが、その過程では生存率と将来性を考えて、何を選択すべきかずっと考え続けていました。人生ずっと『片道勇者』をやっているような感じです。

WOLF RPGエディターはなぜ生まれたのか

大学を出た後、ゲーム開発だけで食べていく人生を歩むことになって、それなら自分専用のツールもいるだろうというのと、自分が熟知しているファイル形式でつくっておけば、いずれ別の機種に移植する時に便利だろうと思って、WOLF RPGエディターをつくり始めました。自分ひとりで使うにはもったいないなと思ったのと、一人でバグを取りきるのが大変だったこと、どうせ直せるのは自分一人なのは変わらないことなどを考慮すると、ならバグを見つけてくれる人を増やした方が総合的な利益が大きくなるだろうと判断して2008年に一般公開しました。サポートの手間も大量に背負うことになりましたが、バグ報告を送ってくださる皆さんにはいつも感謝しています。

せっかく使ってくれている方がいるんだったら、何かお得なことがある方が良いかなと思って、すでに行われていた非公式のウディタコンテストが好評を博していたので、公式でもコンテストをやるようになりました。

開発したゲームを海外へ

2009年にIGFのことを知って、シューティングゲームだったら出せるかもしれないなとぼんやり思ったのが海外展開のことを考え始めた最初だと思います。

開発日誌にはIGFにも出してみたいけど、英語もできないし、これから英語勉強しようかなと書いたんですけど、結局今に至るまで英語を勉強することなく、ゲームの開発だけで時間が過ぎてしまいました。

『片道勇者』をつくりだしたのが2010年くらいだったので、これもめちゃくちゃタイミングが良かったですね。

当時は私の周囲にも、海外を狙わないとだめだ、という空気があったのかもしれません。有志の手で日本のゲームが海外に出ている例を見たりしてうらやましかったというだけかもしれませんが。

そんな時に、ツイッターで強制スクロールの話が流れてたのを見て、そんなレトロな要素って最近あんまりないなあと思って、そういうレトロな要素でレトロの集大成をつくれないかとぼんやり考えていたら、強制横スクロールRPGという言葉が湧いて来て一人で笑ってましたね。

で、研究制作というか、自分のアイデアが果たして実証できるのかの実験的に、まず最低限動くだけのプロトタイプをつくりはじめて、もし上手く行きそうだったら本格的につくってみよう、というのが『片道勇者』でした。

開発中片道勇者

開発中片道勇者

開発中片道勇者

実は『片道勇者』は公開後も、正直完成していなかったと思っていたのです。しかし、フリーゲームだったのでもうこれ以上手を入れる余裕がありませんでした。だから、公開後、PLAYISMの方々に海外展開で『プラス版』をつくろうと言ってもらえた時、やった、これで完成させられる!と思いましたね。タイミングも良かったですね。もう少し前だったら絵が下手で世界に出すには恥ずかしかったのですが、『片道勇者』の時はこれならギリギリいいかというくらいになっていた段階でしたし。

片道勇者開発秘話

一番よかったことは、PLAYISMの方々のおかげでプラス版の開発をスタートできた話なんですが、ここでは二番目に印象に残っている話をします。

プラス版の開発で一番最後に作ったエピローグは、実はネムリの人間エンドのエピローグでした。プラス版ではネムリが人間のままで終わる隠しエピローグが追加されているんですが、当初は、最後の最後までこれを作らずに終わるつもりだったんです。

私の心の中では、本当に終わりの直前まで、「要望があったけど、別にネムリの人間エンドは作らなくてもいいかな……」と思っていました。なぜかというと、片道勇者に対しては「そんなご都合主義なんて不自然」と真剣に思いこんでいたからです。

しかしプラス版の開発終了間際になって、片道勇者の開発中はずっと東日本大震災の記憶が脳裏にあったことを思い出すようになりました。なんせ、開発開始が大震災の約半年後ですからね。「あの大震災の悲しい記憶がこのゲームに影響を与えた部分も少なからずあっただろうな」と思い出していたとき、急に「やっぱり、もうちょっと明るい未来への希望も織り交ぜてみよう!ご都合展開でもいい!だってゲームなんだから!」という気になり、本当に最後の段階でネムリの人間エンドのエピローグを追加したのです。

そんな経緯なので、「ネムリ+」のエピローグはほんのちょっとだけ再生への希望を感じさせる内容になっている気がします。


最新プロジェクトと次回作の構想について

ニコニコゲームマガジンというところで『 プラネットハウル』というアクションゲームをつくっています。公開は、9月18日からですね。

本当は、一手一手の判断を楽しめるようなゲームをつくりたいなとずっと思っています。『シルフェイド幻想譚』などもこの先どうすればいいかを考えられるゲームにしたかったんですが、あれは三周ぐらいが限界でしたね。突き詰めていくとローグライクみたいなゲームが理想に近いんだろうなと思います。あとは、ヘンな動きのアクションゲームがつくりたいんですよね。マウスで引っ張ってジャンプするようなゲームが『モノリスフィア』なんですが。適応できる人がちょっと少なかったみたいで(笑)

何かでジレンマを感じさせつつ、どっちがいいかなと常に考えさせるようなゲームで、かつランダム性がストーリーと絡んだようなものを作りたいんですが、そんなゲームは一生つくれないかもしれない。今のところはまだそれを達成できそうにないですね。

SmokingWOLFさんの夢は何ですか

一秒でも長く自由なゲーム開発を続けること、です。私にとってはもう十分な名誉を得られたと思っているし、海外出してみたいなというのも叶ったし、コンシューマゲームに出したいなという夢もあったけど、それも叶いました。『 不思議のクロニクル 振リ返リマセン勝ツマデハ』では、自分のゲームをネタバレなしで遊べるという夢も叶った。

もともとお金を稼がなくていいんだったら、ずっとフリーゲームだけをつくり続けていたいんですよ。お金を稼ぐとなると、まず買ってくれた方に損はさせられないという縛りがつきますよね。商売するんだったら、最低限そこだけは縛りをつけなければと思うんですが、それだけで作れるものの制約がかなり大きくなるんです。買ってくれた人のうち、なるべく多くの人に楽しんでもらえるようにつくったほうがいいとか。だから、私にとっては意外と発想の幅が縛られる。

私の場合は、今までつくった有料ゲームはほとんどフリーゲームをベースにしています。『シルエットノート』は『シルフェイド見聞録』、『シルフェイド学園物語』は『シルフェイド幻想譚』、みたいな感じで無料ゲームの延長線上にあるものをつくってますね。

自由に有料ゲームをつくっている人もいますけど……ファンの人に合わないものがたくさん売れてしまった時の不幸の量の方が大きいと思って。フリーゲームだったら、時間は損失しますけど、お金はもらわないので、挑戦的なものがつくれます。『片道勇者』もフリーじゃなかったら出てないと思います。既存のファンに対して、かなり突き放したつくりの作品ですから。

好きなゲーム、影響をゲームを教えてください

ローグライクとしては、 FTL: Faster Than Lightをオススメしたいです。変わった操作性のアクションゲームとしては、 I am Breadですね。こんなゲームはなかなかないので、非常に面白かった。感動しました。

FTL: Faster Than Light

I am Bread


影響を受けたのは、ログイン ソフコンというムックに入ってた、耽美系というか、ちょっとヤバい内容の、生まれてはじめてさわったDante98のゲームなんですが、『愛戦士 ジュネの絆』という作品です。ジュネっていうのが当時のボーイズラブを表現する言葉なんですけど、それを知らずに父親に助けられながら初めてプレイしたゲームがそれで。ここまで尖ってていいのか、こんなことやっていいのか、こんなのが許されるんだ、と。これで私の中の開発自由度の基準が決まった気がします。

読者の方に一言を

これからもできる限りちょっと新しいゲームを作り続けていきたいと思いますので、その折には宜しくお願いします。まずは、9月18日に公開される『プラネットハウル』を遊んでみてください。

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